さぁ、いよいよシリアからヨルダンへの移動の日今回の陸路での入国はそんなに厳しくはないみたいです。朝、みんなでバス停へでも今回はバスに乗るのではなく、セルビスと呼ばれる乗り合いタクシーで約4.5時間かけての移動さっそくペイズリー5の敏腕ネゴシエーターが動く今回はイスラム圏内なので大ちゃんではなくミステリアスゆたかプロの登場アラビア文字を匠に操り、タクシーを2台チャーターしかも600シリアポンド(約1200円)で行けるとの事
やったー!!安い!!んでセルビスで国境までノンストップ !!イミグレーションでも難なくクリア
スタンプどーん!!!!!!!!!!!!!!運転手のイミグレ待ちをできるぐらい余裕でしたその待っている時のこと1台のバイクがこっちに向かってやってきたシリアで同じホテルにいたおっちゃんだった(おっちゃんの写真なかった)彼は耳が聞こえないらしく、あまり会話できなかったのだがこんな国境で出会うとはしかも、よく見ると年季の入ったバイクに何か文字がはってある
AROUND THE WORLD
バイクで世界一周をしている!!!!!!!!!!すげえ!すごくかっこいい自分の持っているハンデなんて全く気にしていない僕らよりも断然ハードで楽しそうな旅をしている勇気をもらいましたそしてまたセルビスに乗りこみ、ヨルダンへ in ☆1日かけての移動の日。。今回の宿はアンマンにある『マンスールコウダ』
有名な日本人宿なのだが、、コウダってどこかで・・・なんとこのホテルの名前はイラクで拉致され惨殺された香田証生さんから名付けられた オーナーはサーメルさんという人香田青年がイラクに行く前に、最後に立ち寄った宿がこの近くにあるクリフホテルだった。そのときサーメルさんはそこのスタッフをしていて香田さんと出会った彼は、イラクの現状を自分の目で見て日本に帰ってその様子を人々に伝えたい、という思いをサーメルに伝え、周囲の皆の反対を押し切ってバグダッドへ向けて旅立ったという。そのとき彼に頼まれてイラク行きの手配をしたのは、他ならぬサーメルだった。もちろんそのときのイラクはとても外国人が旅できるような状況ではなく、危険極まりない無法地帯だということを知っていたサーメルは、何度も彼のイラク行きを止めようと試みた。日本大使館にも電話して彼が国境を越えるのを止めるよう呼びかけた。しかし香田青年の熱意と行動にストップをかけることはできず、最終的にあのような惨事につながってしまったのだった・・・。「自分があの時、止めていれば・・・」サーメルは今でも香田青年のことを心の中で重く重く引きずっている。このコーダホテルという名前も、彼のことを忘れまいという思いで名付けたのだった。気を引き締められました自分たちもあの事件を思い出して楽しみながらも常に緊張して旅しないとねそして次の日みんなで死海へアンマンビーチというところへ(15JDもかかった)
未来さんのとても行きたかった場所みんなで浮きにいくんだ!!!
ってことで、みんなで浮いてやりましたよホンマにすごい浮くんです
写真では伝わらないですが、お尻の◯がひりひりヒリヒリ!!なめたら苦いし!!!塩の結晶もはんぱねえ!!死海の泥パックもしてツルツルな肌を目指す
みんなまっ黒黒で仕上がってます(だいちゃん黒過ぎる)
いやいや、楽しいですな死海の塩で食べようとゆで卵持って行ったのに、食べるのも忘れて遊んでましたヨルダンも平和な地です
夜は皆で宴会!!ホテル裏のケバブ屋さん(200円でたらふく)
ヨルダン、アンマンは物価も安いしいい所なので、皆様ぜひ!!
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