41㌔地点の日本

次の日、12時ジャストにブラジルビザをゲット!!そしてローラ一家とのお別れ
ここの宿、少し高いが、現地民と触れ合いたい人にはおすすめですまたバスに乗りアルゼンチンからブラジルを通ってパラグアイのシウダーデルエステへ戻り
またまたバスを乗り換え、イグアス移住区へ『41km地点(クワレンタイウーノ)!!』と言えば着くらしい恐る恐る、人間でパンパンのバスに乗り込みちゃんと降りれるかなーと思ってたら、くどいほど何度も言ってたからか、パンパンの通路をぬって席まで呼びにきてくれた!バスを降りるとそこはどこまでも続くまっすぐな道と赤土が続く街>
すんごく暑いでも、日本人の姿はまるでない・・・相変わらず下調べなしで行動てくてく歩いて宿を探していると「こんにちわー!宿を探してますか?ここですよ多分^^」日本語で話しかけてくれる人がどうやらここが『ペンション園田』
イグアス移住区たくさんの日本人や日系の人が住む場所いわば、地球の裏側の日本みたい50年前に日本とパラグアイの政策で移住してきた人たちが作った街なのですここは観光で来るような場所ではないので宿も少ないここの園田さん一家も移住してきた人たち
色々と移住のことで話が聞けたらな、と思って来たのです今日は日曜日なので、もうすぐ(夕方)ほとんどの店がしまっちゃうとの事で急いでメルカド(スーパー)買い出しに
その後、園田の奥さんからこの移住区についてを軽く聞いた色々話が聞きたいなら、居酒屋にいってみるといいよ^^と言われ、1キロくらい歩くとなんと農協が!『その横にある』すぐわかるやろと思ってたら、全然分からず警備員みたいな人に聞いてみると『そこだよ!』ん??倉庫かな?と思ってた所を覗いてみると中はカウンターとテーブルがある居酒屋になってた!ここは夫婦で切り盛りしているお店アルコール以外は付出ししかださないだけど、みんなが魚や野菜を持ち寄った日は、それを2人が調理しみんなで分け合うというスタイルらしいすごくシンプルでいいなそこに来ていた常連さんたちがたくさん話をしてくれた本当に日本の町の小さな居酒屋という感じその中でも、今ここの日本人会の代表をしているという『一番さん』
ここの高校の先生をしていたり町の野球大会を主催したり休みがないほどに頑張っている50年前にパラグアイが恐慌に陥ったとき、移民してきた日本人その中でも、高知の物部村は、村の世帯全員が移民するぞ!という話もあったくらいらしい(海外移民は岩手県と高知県がダントツ)そして50年たった今でもその子供だったり、孫だったりの人々が今でも地球の裏側の日本を大切に守り続けているのです中には鳥居があったり、日本語を教える学校があったり、
私が生まれた年の天皇の訪問記念碑なんかもあり
ちゃんと訪れているんやなあと、改めて日本を感じました一番さんがここへ来るのに旅人風な汚い格好でやってきたりずるずるとした服装でくるといやがる人もたくさんいるここに旅行で来る事自体をよく思ってない人もいる観光地じゃないし見せ物じゃないというのもあるし(現に私たちも、挨拶をしたら無視をされることもあった)でもそういう人ばかりではないという事も教えてくれたここにも日本がある!ちゃんと守り続けている!ということを日本に帰ったらみんなに伝えてほしい!聞きたい事があったらなんでも聞いてや!と言ってくれた実際に話を聞いて、目で見て、初めてこの現状を知る事ができた日本にいるだけでは知る事ができない事をたくさん学べる本当に旅に出てよかったと思った話は変わるがここの宿の娘さんなんと未来ちゃんでした名前が一緒な事に場は盛り上がり未来ちゃんを家から連れてきてくれましたかわいいおませな6歳の女の子
今はスペイン語日本語英語を習っているらしいです。。この居酒屋、何か縁があるように感じた夜でした
龍さんは相変わらず、酒を断れない(断らない?)タチなので久々にベロベロになりましたとさ帰りは一番先生が車で送ってくれましたどうもありがとうございました☆

ryumikuの世界一周ハネムーン  旅の回想記録

2010年9月9日 ドキドキしなら日本を出国し、約180日間で28カ国を旅した記録です。短期間を弾丸で旅したパワフルな思い出を風化させない様このサイトに思い出しながら書いていこうと思います。

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